カナダ北極圏やグリーンランド、北極海を中心に主に単独徒歩による冒険行を実施。2000年より2019年までの20年間に16回の北極行を経験し、北極圏各地をおよそ10,000km以上移動。世界有数の北極冒険キャリアを持ち、国内外のメディアからも注目される日本唯一の「北極冒険家」。
2016年、カナダ最北の村グリスフィヨルド〜グリーンランド最北のシオラパルクをつなぐ1000kmの単独徒歩行(世界初踏破)
2018年1月5日(現地時間)、南極点無補給単独徒歩到達に成功(日本人初)
2018年2月 2017「植村直己冒険賞」受賞
2021年5月 神奈川県大和市に「冒険研究所書店」開業
TBS「クレイジージャーニー」NHK「ニュースウォッチ9」WOWOW「ノンフィクションW」などで特集番組多数。ラジオ、雑誌、新聞など各メディアでも多く紹介される。
日本国内では夏休みに小学生たちと160kmを踏破する「100milesAdventure」を2012年より主宰。北極で学んだ経験を旅を通して子供達に伝えている。
海洋研究開発機構、国立極地研究所、大学等の研究者とも交流を持ち、共同研究も実施。北極にまつわる多方面で活動。
著書:「北極男」講談社(2013年11月)
「考える脚」KADOKAWA(2019年3月)
1977年 | 神奈川県・愛川町に生まれる |
2000年 |
冒険家大場満郎氏の主宰した「北磁極を目指す冒険ウォーク」に参加 カナダ北極圏レゾリュート〜北磁極の700km徒歩行 |
2001年 |
レゾリュートでの北極トレーニング |
2002年 |
レゾリュート〜グリスフィヨルド500km単独徒歩行 |
2003年 |
カナダ北極圏ビクトリア島徒歩行 夏季ビクトリア島ツンドラトレック |
2004年 |
グリーンランド犬ぞり縦断行、シオラパルク〜アンマサリク2000km |
2006年 |
カナダ北極圏偵察行 イヌイットとの生活 |
2007年 |
レゾリュート〜ケンブリッジベイ1000km無補給単独徒歩行に挑戦 500km地点にてテント内で出火、両手に大火傷を負い救助される |
2008年 |
夏季ツンドラトレッキング 野生動物の観察、イヌイットとの生活 |
2010年 |
レゾリュート〜北磁極への無補給単独徒歩行 |
2011年 |
レゾリュート〜ジョアヘブン〜ベイカーレイク1600km徒歩行。 Faust A.G.冒険家賞受賞 |
2012年 |
日本人初となる北極点無補給単独徒歩到達への挑戦(第一回) 小学生との夏休み冒険旅「100milesAdventure」開始 「網走〜釧路」160kmを踏破 |
2013年 |
第2回「100milesAdventure」東京駅〜富士山頂160km踏破 初著書となる「北極男」を講談社より出版 |
2014年 |
北極点無補給単独徒歩到達への挑戦(第二回) 第3回「100milesAdventure」大阪港〜福井若狭湾160km踏破 |
2015年 |
第4回「100milesAdventure」厳島神社〜出雲大社173km踏破 |
2016年 |
カナダ最北の村グリスフィヨルド〜グリーンランド最北のシオラパルクをつなぐ1000kmの単独徒歩行(世界初踏破) 第5回「100milesAdventure」札幌〜大雪山旭岳190km踏破 |
2017年 |
カナダ北極圏ケンブリッジベイトレーニング 第6回「100milesAdventure」別府〜熊本城170kmを踏破 |
2018年 |
1月5日(現地時間)南極点無補給単独徒歩到達に成功(日本人初) 2017「植村直己冒険賞」受賞 第7回「100milesAdventure」新潟駅〜猪苗代湖170km踏破 第8回「100milesAdventure」猪苗代湖〜日光176km踏破 |
2019年 |
著書「考える脚」をKADOKAWAより出版 若者たち12人との北極行「北極圏を目指す冒険ウォーク2019」を開催 5月5日(現地時間)600kmを踏破し、ゴール・クライドリバー到達 第9回「100milesAdventure」岡山〜今治175km踏破 第10回「100milesAdventure」今治〜高知177km踏破 神奈川県・大和市に「冒険研究所」開設 |
2020年 |
著書「考える脚」が第9回「梅棹忠夫・山と探検文学賞」を受賞 第11回「100milesAdventure」小田原城〜富士山麓一周174km踏破 |
2021年 |
3月「合同会社冒険研究所」設立 5月「冒険研究所書店」開業 第12回「100milesAdventure」江ノ島〜諏訪湖200km踏破 第13回「100milesAdventure」諏訪湖〜直江津海岸190km踏破 |
初めて北極に行ったのが2000年だった。それまでは北極どころか登山もしたこともないし、第一外国に行くのも初めてだった。つまり初めての 海外が北極だったわけだ。
それまで平和な日本でのほほーんと過ごし、何となく自分の生息圏外に出てはみたいが何をして良いか分からない、そんな状況があれよあれよと言う間に
気がついたら北極の氷の上を歩いていた。ある種のカルチャーショック、しかも相当強烈なヤツをガツンと打ち込まれて体を貫通したような感覚だった。
中学生のときの卒業文集にこんなことを書いていた。「僕は今の10年後、25歳までに納得した人生を送っていなかったら自分に革命を起こして
人生の全てを変える。25歳の荻田泰永よ、人生楽しいか?」要約するとこんなカンジである。元来アマノジャクで人と同じ事をするのが嫌いで、 「世の中全てが右を向けば俺は左だ!」みたいな所がある。今年2002年、ちょうど25歳である。どうやら革命は起こさずに済みそうだ。
元々変身願望があったところに北極という超異世界に放り込まれたことで、「これだ!!」という感覚を得たのだ。
北極には何も無い。美しい風景があるわけでもない、毎日同じ光景の繰り返し。歩いている間は毎日クマに怯え、安心して熟睡も出来ない。しかし
だからこそ本能に忠実になって、判断力、洞察力、行動力をフル活用する必要がある。脳幹に忠実になるのだ。
毎日歩き、テントを張って飯を食い、寝て起きてはまた歩く。単調な毎日だが生きている実感がある。周囲に流されることで思考停止状態に陥った 日本社会よりもはるかに生きている実感がある。
だから僕は北極に行くのだ。
2004年の今、なぜ北極に行くのかというと、上記の動機にプラスする部分ができてきた。確かにスタートの動機は自分に変化を求めてかもしれないが、
何度も重ねて北極へ行くうちに新たな動機ができてきたのだ。北極と言ってもなかなかイメージが掴みにくいかもしれない。私もはじめはそうだった。 ところがいざ行ってみると、広大なワイルドライフには多くの動物がのびのびとゆったりと生きているし、その地で数千年も昔から適応して生きてきた
人々がいる。彼らの文化があり、歴史がある。またその地の謎を探ろうとやってきた西洋の探険家たちがいた。彼らの歴史もある。
そんな北極の一面を知った時にたまらないワクワク感を覚えた。「あの動物は夏になるとどんな生活をしているんだろう」「イヌイットはどんな狩りをするんだろう」
と自分の全く知らない世界にモウレツな好奇心が沸いてきたのだ。
「同じところに何度も行って飽きないの?」なんて聞かれることがあるのだが、飽きるどころか行く度に新たな発見があり、
それを疑問に思うとまた行きたくなってしまうのが現状なのである。「同じところに何度も行くと飽きる」なんていう発想は、通りすがりの観光客が発する言葉だ。 観光地の表面上取り繕ったところだけ見て、「ふーん、あっそう」で帰ってくるのか、一ヶ所に惚れ込んでとことんまで追求するのかの違いだ。
「私は世界中の○○カ国旅行しました」なんて自慢したって、「じゃあそこで何を見て、何を感じて、どう思ったんだ」と聞かれて何も答えられなかったら
何の意味も無い。
こんなことをやっていると、周りの人は「冒険家」だなんて言ってくる。別にそう呼んで欲しいわけでも、呼んで欲しくないわけでもなくどっちでも良いのだが、
「冒険家」なんて勝手なイメージで「世界中あちこち行ってるんでしょうね、何カ国くらい行ったことあるんですか?」なんて事も言われたりする。 そんな時は話がしらけるのは承知で「いや、北極しか行ったこと無いですよ」と答える。事実その通りだからしょうがない。
触れれば触れるほど、知れば知るほど人を惹きつける魅力に満ちた広大で美しい極地。その魅力を求めて、ワクワクする為に北極に行くのだ。
2009年の今、私の中には新たな目標が芽生え始めている。
上記の2002年2004年の理由を今読んでみると、両方共に今でも変わらない気持ちがある。
北極に行く理由は「変化」するのではなく、新たに「芽生えて」くるのであると思う。初期の「変身願望」にやがて「好奇心」がプラスされていった。
そして今、あらたに自分の中に感じている衝動は「社会性」かもしれない。
冒険という行為は単なる自己満足の延長であると思う。私が北極を歩こうとも社会に対してはなんの影響もないことで、「一人で歩いたぜ!」
なんて胸を張ったところで自分の手が届く範囲の世界だけで話は終わってしまう。
ただ、自己満足だから悪いというわけでは決してない。世の中の多くのことは自己満足から発生していることである。
何かの行為を行い、自分の中で完結させて人生の糧にするということは大切なことだ。私の今までの旅もある意味では自己完結型であり、
自分自身の成長を求めて「修行」のような感覚で旅をしてきた。
北極に興味を持ちはじめ、毎年のように通ううちに近年特に北極に関する報道が増えてきた。海氷面積の減少が盛んに報道され、
「数十年後には北極海の海氷がなくなる」などという新聞記事がよく出るようになった。
世の中の自然な流れとして地球環境問題が話題の俎上にあがる機会が増え、北極に通う私に意見を求められるような機会も増えてきた。
しかし、私は研究者でもなければ、その地に定住しているイヌイットでもない。イヌイットから聞いた話や第三者の知識を自分が感じた事とリンクさせながら伝える
ようなことをするしかないのだ。
「本当に北極って環境が変化しているのだろうか?」という素朴な疑問を持った。それは北極に対する「好奇心」から派生した想いだと思う。
これからの北極点を目指す旅に向けて、自分にできることはなんだろう?という疑問を持ち、北極で地球環境変動を研究している研究者の方と会ってみた。
南極には50年前から観測基地があり、永い研究の歴史があるが北極にはそれがなく、データもほとんどないということを今更ながらに知ったのだ。
そして研究者は「現地の生のデータ」を望んでおり、自分にはそれを提供できるという可能性を感じた。
自己満足から発生した自分の行動が、誰かの役に立つかもしれないという事実に気付いた時、私の北極へ行く理由に「社会性」がプラスされた。
しかし、決して「人のために」北極へ行くわけではない。あくまでも「自分のため」が第一義である。こう書くと誤解されるかもしれないが、
北極の現状を素直に知りたい!という自分自身の思いがあるからできることであると思う。
北極での調査を徒歩行中に行うというのは、冒険を行動の目的にするならば余計な負担となる。私にとって調査を行うことは「好奇心」から派生した行動である。
その意味において「自分のため」であるのだ。
北極点無補給単独徒歩到達を目指すというのは、明らかに「挑戦的」な冒険だ。自分への更なる成長を求めて行うという、冒険の世界に飛び込んだ時の思いそのままの延長である。
その純粋な冒険心に好奇心をプラスさせ、さらに社会性を持たせることで北極挑戦への大きな動機付けになるのだ。
★私がやりたい事★
近い将来、若者を連れて北極を歩きたい。全くのド素人だろうが関係ない。
だって、自分が初めて北極に行った2000年、冒険家の大場満郎さんは私たちド素人の若者たちを北極に連れて行ってくれて、ソリを引いて北極の海氷上を700km35日間歩く旅をやってくれた。当時私は22歳だった。それまでなんのアウトドア経験もないド素人だった。心の中にエネルギーは抱えていた、でもそのやり場に困っていた、そんな時に大場さんをテレビで見て、その番組の中で「来年は若者を連れて北極を歩こうと思っている」という言葉に惹かれて手紙を書いた。
以来、翌年からの一人での北極旅が始まって、これまでに11回も北極に通う事となった。その過程で私は多くの人と出会い、沢山の世界に触れ、時速2kmで地表を這うような旅を行なう事で「地球の大きさ」みたいな事を体験を通して学んできた。
その機会を作ってくれた大場さんにはとても感謝している。
私のこれまでの旅は「自分の旅」だった。ひたすらのインプットの期間だった。どれだけ自分が成長できるか、どれだけ多くの世界に触れられるか、ただひたすらにそれだけを求めてきた。だからこそ、その都度必要な100~200万円の北極資金も半年間のアルバイトで捻出し、人からの干渉を受けない形で旅を行なってきた。自分の旅なんだから人からお金をもらうのは筋違いだと思った。
北極に10回以上も通うようなヘンな事をしながら、世の中の人のほとんどが私の事を知らないのは何処にも売り込みに歩いた事がないからだ。雑誌に投稿しようとか、テレビ局に売り込みにいこうとか、思った事もなかった。
いつも成田空港から大量の荷物を抱えて一人でひっそり出発し、数ヶ月後にひっそり帰ってきてはまた翌年のためのアルバイトに帰っていった。
しかし、いま、私はこれまでの「自分の旅」から次のステージへと移行すべき時に来ていると実感している。
インプットの期間からアウトプットへの移行だ。
これまでどんな世界で何を見てきたのか?何を感じたのか?何を食べて、誰とどんな事を話してきたのか?それが人間としてどう思ったのか?日本ってどうなんだ?世界って何なんだ?生きるって何なんだ?
アウトプット、表現の一つとして、かつて大場さんが我々にしてくれた事を今度は私が行なうべき時に来ていると思うのだ。いま、私の手元には大場さんからの預かりものがある気がしている。
若者を連れて北極を歩く。かつて人生の目標に悩み、抱えているエネルギーのやり場に困りながらも日々を惰性のようにやり過ごし、グレーの吐息を吐きながら自分を変える機会を求めていたような私が、今の時代でも沢山いるはずだ。
広い世界を見る事、人生の引き出しを一つ増やす事は必ず生きる上で糧になる。
上の世代の人がしてくれた事を、自分が次の世代の人に行なう事は義務でもあり、未来への希望でもある。
また同時に、若者でなくある程度の年配者も一緒に北極に行くような事もしたい。年配者からはそれなりのお金をもらい、その資金を金のない若者の北極行にまわす。年金の逆構造的な、若者を育てる金を年配者からいただいて回せられたらいいなー、なんて思っている。
その次のステップへいくために、私には果たさなくてはいけない課題として、北極点無補給単独徒歩到達という、境地冒険の最高峰がある。
この最大の課題を達成し、一つの到達点に達したところで次のステージへと移行していきたい。
「自分のインプット」から「他者へのアウトプット」へ。
不定期に、数年ごとの思いついた時に「なぜ北極に行くのか?」という根本的な命題を、その時々の気持ちでこれまで何度か書いてきた。
一番最初が2002年だった。もう13年も前になる。はじめの頃の文章を読むと、書いてる事が若いなー、なんて自分で気恥ずかしくなる思いだが、根本的な気持ちはいまでも全く変わっていない。
これまでの何度かの「なぜ北極に行くのか?」も、すべてがいま現在の気持ちと何の変化も無い。北極に行く理由は変化しているのではなくて、積んできた経験や歳によって行く理由がさらに「増えている」のかもしれない。
いまでもワクワクするために北極に行きたいし、生きている実感は北極に行くうえでとても大切な要素だし、得てきた経験をこれからさきどうやって活かしていくかもとても大事なテーマとして依然存在している。
最後に書いた2009年のあと、北極には2010年の北磁極、2011年の1600km徒歩行、2012年と2014年の北極点挑戦と、4回のエクスペディションを重ねてきた。
日本での活動では、2012年の夏休みから小学生と160kmを踏破する「100milesAdventure」をスタートさせている。
2009年と今とでは、北極に行く根本的な理由にはあまり変化がない気がするが、一番変わったのは私自身の周辺状況だと思う。
特に北極点挑戦をするようになってからは、事務局を設立し、スポンサーを募り、メディアにも積極的に露出し、本も出版させていただき、多くの方に遠征資金のカンパを寄せていただくようになった。
以前は自分で働いて稼いだ資金だけを持って、誰に頼るわけでもなく、誰にアピールする必要もなく、好き勝手に北極に行って思う存分自分の冒険を行ってきた。
しかし今、私に関わってくれる人が増えれば増えるほど、ある意味でかつてのような自由を失っているのではないか?という想いも確かにある。
それは、必要な資金が増え、関わる人が増えれば当然に発生する事であり、そんなことは百も承知のうえで望んでその道を選んだ。
「冒険道」みたいなものがあるのかどうかは知らないが、もしも「冒険」というものを、肩で風切る野武士のようなスタンスで、誰の世話にもならん!オレのやりたい事に誰の口も出させないし、誰の目も気にする事なく自分の道を究めるんだ!という想いで実行するのであれば、自分のように言わば「人のお金をあてにするやり方」は違うだろう。
ただ、ここ数年で多くの人たちと関わるようになり、子供たちと100マイル一緒に歩いてみたり講演や写真展や様々な場面で様々な価値観と触れ合ってみると、自分は案外と人間が好きなのかもしれないなーと思いはじめている。やはり、冒険をしてその冒険行為で価値を終わらせてしまうのはもったいないんだなと、強く思っている。自分は、北極での経験を日本社会に持ち帰ってきて、さらにそれを使いたがっているんだなと。
元々自分は冒険家になりたかったわけでもない。大場さんに出会い、はじめに北極での冒険の世界に触れてしまったために、結果的に北極での冒険活動が人生の大部分となっただけである。だからこそ、冒険をしたあとの自分と社会とのつながりと言うか、何を北極から持ち帰る事ができるのだろうか?ということに次第に意識が向きはじめたのだと思う。
北極に行く事で得られた自分にとって大切な経験を日本に持ち帰り、多くの人と出会い、多くの価値観に触れて今まで想像もしなかった新しい価値観を産み出し、そこから新しい経験を得ることが自分にとっての喜びとなっている。子供たちと夏休みに歩く「100milesAdventure」は、まさにその典型であるかもしれない。自分だけでなく、参加してくれた子供たちや大人のスタッフ、親御さん、協賛社の方々、すべての人たちにとって未来に繋がる大切な時間を産み出せているのではないかという自信がある。
自分のためにはじめた冒険という活動である。今でも自分のために冒険をする事に違いはない。しかし、そこで得られた経験、教訓、自信、それは世界の誰も持っていない、自分だけのオリジナリティであるという自負がある。その自負で以て、自分にとっての新しいチャレンジを北極だけでなく社会においても行う事が私のやるべき事であり、やりたい事である。
人はやるべき事とやりたい事が一致した時に無情の幸福感を得られるのだと思っている。私は、自分の幸福を追求しながら、社会を巻き込む力を得たいと思っている。その力を得るために、冒険をするのだ。